トップ | もどる | 掲示板 | 画像掲示板 | リンク |

医心方

針博士・丹波康頼が永観2(984)年に撰進と伝えられている、現存する日本最古の医書です。

芭蕉は「甘蕉根」で収載されている。

和名は「波世乎波」となっている。

本草和名、和名抄、医心方の3つをみると、この時代は「ばせをば」=「芭蕉葉」=「バショウ」と理解されていたようですね。最後の「波」は「葉」だとは思いますが、「えんどう豆」=「エンドウ」(エンドウの特長は豆である)のように、バショウの特長は大きな葉なので、芭蕉にその特長を示す葉という言葉が引っ付いて、バショウは当時の日本では「ばせをば」(芭蕉葉)と呼ばれていたのだと思います。

芭蕉が現存している和歌に詠まれたのが、平安時代(794〜1192)が始まって100年弱後くらい。渡来した株が増えて広く植えられるまでの時間や和名ができるまでの時間を考えると、芭蕉が中国起源だったとして、平安時代といってもごく初期か、もしかしたら奈良時代に渡来したのかもしれないですね。事実上最後の遣唐使が838年とありますし。

和名があるにもかかわらず「芭蕉は日本の暖地にも自生があった」を否定できるような資料ってあるのかな・・・。本草和名、和名抄、医心方の記載ルールはよく知りませんが、唐のものは和名でなく「唐」と書いてるようです。渡来してから長く経って広く浸透して和名ができたものは和名が書いてるのかもしれません。

牧野富太郎 植物一日一題

ひろく我国各地に植えてあって普く人も知っているいわゆるバショウ(Musa Basjoo Sieb.)は昔中国から渡来したものだが、しかしそれがいつの時代であったのか今私には不明である。が、しかし一千余年も前にできた深江輔仁(ふかえのすけひと)の『本草和名(ほんぞうわみょう)』に甘蕉、一名巴蕉を波世乎波(バセヲバ)と書き、源順(みなもとのしたごう)の『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』にも芭蕉を和名発勢乎波(バセヲバ)と書いてあるところをみると、相当古い昔に来たものであることが推想せられる。つまり一千余年以前に我国に入り来ったこととなる。そして右のバセヲバのバは葉でそれは芭蕉葉の意である。 

もどる