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遣唐使が芭蕉を持ち帰れた可能性 2008/5/8 作成中

いつどのように芭蕉が日本に持ち込まれたのかは、良くわかっていない。

そこで、どのような可能性があるのかを考えてみた。

遣唐使のルート

702年以降の遣唐使は五島列島を経由して直接東シナ海を渡り今の上海のあたりにたどり着く「南路」をとっていた。それ以前は朝鮮半島沿岸を通る「北路」だった。

東シナ海は約1週間で渡れたことがわかっている。

1回の航海は400〜500人で船は四隻という形が定着。

長江河口からは運河で黄河に抜け、長安を目指した。

渡航メンバーには薬生も含まれ、中国の薬学(生薬)を学んだ。

一方、中国の芭蕉(Musa basjoo)の分布は

このようになっており、遣唐使が到着する上海周辺まで分布(栽培)がある。野生地は良くわかっていないらしい。

ちなみに、上海の気温は

都市   1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
上海 平均気温  3.5 4.6 8.3 14 18.8 23.3 27.8 27.7 23.6 18 12.3 6.2
平均最高  7.6 8.7 12.6 18.5 23.2 27.8 31.8 31.6 27.4 22.4 16.8 10.7
平均最低 0.3 1.4 4.9 10.4 15.3 20.1 24.7 24.7 20.5 14.3 8.6 2.7

となっており、食用バナナが生育するには寒い(育つことは育つ)が、芭蕉ならば平気。

長江流域以南には芭蕉が普通に栽培されているとの記述もある。(1976年秦(山+令)植物誌・中国)

(上海は長江の河口に近い)

ということは、遣唐使のメンバーは唐に着いてすぐに芭蕉を目にしたはずで、木のように大きな草、巨大な葉でさぞかし驚いただろう。

芭蕉が薬にもなるということなら、日本に芭蕉をもって帰るのではないかと思う。私ならもって帰る。帰りたい。

1週間で東シナ海を渡れるので、株が航海中に枯れることもないだろう。種なら問題ないけれど。

ちなみに、漂流して台湾以南の中国の海岸まで流れ着いた船もあるので、もしかしたら、その人たちは食用バナナも目にしたかもしれない。

でも、日本に持って帰るまでに枯れてしまいそうだ。

また、最後の遣唐使(15回目)が839年で、そのころには航海技術が発達して商人たちが日本と中国をかなり往来するようになってきた。中国のいろいろなものが、遣唐使を介さずにどんどん日本に運ばれるようになった。仮に遣唐使が芭蕉をもちこまなくても、この商人たちや商船に乗せてもらった留学生が持ち込んだ可能性も考えられる。

701年に大宝律令(医疾令)で医生・薬園生のテキストに「本草」を指定して以来、中国の薬物書をどんどん学ばせているので、書物だけでなく、薬物としての植物も積極的に持ち込まれたのではないかとおもう。時をほぼ同じくして、遣唐使が南路に変更されたので生薬芭蕉を直接目に出来るようになったはず。でかいから目立つ。

そして、900年頃には芭蕉が都に定着していて、和歌(古今和歌集)に詠まれたり、本草和名・和名抄・医心方に和名がのったりしたわけだ。

本草和名・和名抄が芭蕉の引用文献として示している、中国の本:兼名苑、本草疏、唐韻のなかに芭蕉の記述を追いかけたいが、今のところうまくいっていない。そのあたりに和名が「はせをば」となったヒントがありそうに思う。当時の中国での分布がわかればさらに面白そう。

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